カテゴリー「歴史」の記事

2014.08.27

津波@日本海側(その2)

若狭湾に津波が押し寄せたという古文書の記事を紹介しておきながら、それをなかったことにしていた某電力会社
消された記事はこちらで確認できます。私もまだ消される前にこの記述は読みました。
(※当ブログでも若狭湾の津波の話は、こことかこことかここに書いてました)

日本政府が初めて実施した「日本海側の津波推計」は、既存の知見を大きく打ち破るものになりました。
やはり、若狭の原発群は、現状ではとても再起動とか口に出来る状況ではないと言えるでしょう。そして、提示されたデータに真摯に向き合わないどころか、そもそもそれを見なかったことにするような連中には、原発再稼働を口にする資格はないと思います。

(京都新聞サイトから↓)

津波 京都府北部で最大7.2メートル 日本海側、政府が初推計
日本海側の大規模地震に関する政府調査検討会(座長・阿部勝征東京大名誉教授)は26日、北海道から長崎まで16道府県沿岸を襲う恐れがある津波の高さの推計を初めてまとめた。京都府北部の平地部でも伊根町で最大4・3メートルに達する。府は今後、データを基に浸水想定や警戒区域を設定するが、これまでの津波高想定に比べ10倍近い巨大津波が襲う可能性もあり、府や市町は対応を迫られそうだ。

■最短10分で到達 京都府想定の10倍

府北部に最も大きな影響を与えると想定する主な断層は、舞鶴市と宮津市、与謝野町の場合、若狭湾内から福井県へ南東方向に60キロある断層(最大マグニチュード7・2)。伊根町と京丹後市は、府沿岸から90キロ沖の若狭湾を北東方向に横切る87キロの断層(同7・4)。…

京都府北部と若狭湾の関係は、とりあえず日本地図でご確認ください。
滋賀県の位置も含めて、そのへんの位置関係を知らないまま再稼働を主張されている評論家的な方々って、けっこう居はりますよね。あ、知ってるけど知らないフリをしてはるのかな?w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.06.08

4タイプの地下水

人の歴史は、石油や電気やITやお金ではなく、水のおかげで続いています。
水は生命の営みに、直接の関係があります。
停電したといって、ネットの接続が切れたからって、石油が枯渇したからといって私たちは死にません。

(京都新聞サイトから↓)

京都の地下水は4分類 大学教授らが調査
琵琶湖に匹敵する水量があると言われる「京都盆地」の地下水の水質は、京都市内では同じ軟水でも成分別に大きく4分類されることが、大学教授らでつくる研究チームの調査で分かった。成分の数値や水源を特定できるデータに基づき水質分類ができたのは初めてといい、「京の地下水」を知る貴重な資料になりそうだ。

チームは立正大の河野忠教授と福島大の藪崎志穂特任助教、京都府内の水環境保全に取り組む「カッパ研究会」世話人の鈴木康久さん。

 2009年から3年かけ、京都盆地を中心に、江戸時代の「都名所図会」などで確認できた名水がある寺社や、和菓子店や酒蔵など計217カ所の井戸水や湧き水を採取した。ナトリウムやカルシウムといったミネラル分や、水系を明らかにする同位体比などを分析。「水質組成図」として表したところ、…

京都盆地はもともと湿地帯で、そこを渡来人の技術で埋め立てて平安京を造営した関係でもともと水資源に関しては文句なしの地でしたが、その水にも実は地域的・地理的・地質的な特性があったというのは京都の歴史を知る上で興味深い視点のひとつになりますねぇ。

※湿地帯だったおかげで病気の発生と流行が絶えなかった京都。それが「外界」に対する畏れという価値観としてそこに住まう人々に共有されたことが、結果として京都を都市として生き長らえさせることになったのでは?というのが私の大学の卒論のテーマでした。
(価値観の共有がいかに人々に力を発揮させるのか、私は2000年問題への対応の時にそれを改めて実感しました)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.29

これは織田信長公に失礼だと思う #kyoto

こういうものを、本能寺跡にオープンさせるのはいかがなものかと。しかも、よりによって命日(暦は違うけど)にオープンとは…

いくらなんでも、ちょっとこれは信長公には失礼でしょう。日本史にも失礼です。
もし信長公の知るところとなれば、ただでは済まされますまい。

(京都新聞サイトから↓)

信長テーマの娯楽施設、2日オープン 旧本能寺跡に
京都市中京区西洞院通蛸薬師上ルの旧本能寺跡の一角に戦国武将・織田信長にちなんだ娯楽施設「信長(しんちょう)茶寮」が完成し、「本能寺の変」で自害した信長の命日にあたる6月2日にオープンする。

信長を題材にした漫画「いくさの子」の出版元で版権管理会社のノース・スターズ・ピクチャーズ(東京都)が、ゆかりの地で本物にこだわった事業をと企画した。店舗は、元所有者である呉服製造の小田章(中京区)が運営する。

信長茶寮は地上4階、地下1階建てで、延べ床面積は約400平方メートル。「信長と酒を酌み交わす」をコンセプトにしており、地下1階にはおしゃれなバーカウンターとともに慰霊碑を設けた。…

もしどうしても作りたいのであれぱ、京都ではなく、信長公が夢をかけた安土城のところに作るべきだったと私は思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.18

【滋賀】 あれから20年… #shiga

今朝の京都新聞一面に記事が載っていて、ああもうそんなに経ったのか、と思ってしまいました。湖西線の比叡山坂本駅(当時の駅名は叡山駅)から夥しい人の群れが湖畔に向かっていたのをテレビのニュースの画面で見ていたものです。

ヨメさんはこの話は知らなかったのですが、そりゃそうでした。出会う前の年のことでした。

(京都新聞サイトから↓)

湖国屈指の湿生林に 幽霊ビル爆破20年
大津市木の岡町の国道161号沿いにそびえた通称「幽霊ビル」が爆破解体されて22日で20年を迎える。一帯の琵琶湖岸は長年、幽霊ビルが「壁」となって人の手が入らなかったことが奏功し、湖国屈指の湿生林に成長している。市街地で珍しいオニグルミの木など多様な植生が育ち、タヌキの姿も確認されている。
…(中略)…
幽霊ビルは20年前、2700本のダイナマイトで爆破解体された。バブル景気が冷めやらぬ当時、京都市のリゾート開発業者がマリーナ付きマンションを計画したが、資金難で頓挫。…

※参考動画→ http://youtu.be/aFEmSzTabdo  見れるかな?


幽霊ビルのある場所は昔も今もよく通っています。我が家と私の実家の間にあります。子供の頃ビビりながら見上げていたビル廃墟が爆破により瓦礫の山となり長らく放置されていましたが、今は公園とテニスコートと南隣にある工場の従業員駐車場になっています。

私の記憶というか理解によれば、元々大阪万博の景気を当て込んでホテルとしてこのビルを建てようとした業者だけでなく、ここを爆破した京都の不動産会社もどうにかなったのではなかろうか。
そうなったのは織田信長が比叡山延暦寺とその東の麓の坂本の街を焼き討ちした犠牲者たちの祟りとも言われていた記憶があるのですが、美しい自然環境を取り戻したことで、彼らもようやく安堵したのかも知れません。願わくば、子子孫孫の世代まで、ずっと残って行ってほしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.03

きっちり調べていただきましょう その2

日本海側 = 津波の被害が少ない という先入観は、もう改めなければならないのかも知れません。(先日書いた記事)

(京都新聞サイトから↓)

天橋立・舞鶴の大津波は史実か 府、国に調査要請
京都府北部に残る津波の言い伝えは真実なのか-。府が津波被害を記した文献を調査したところ、天橋立(宮津市)近くにある標高約40メートルの「波せき地蔵」に津波が押し寄せたという伝承や、舞鶴市で家屋被害が出たとの史料が残っていることが分かり、国に若狭湾の津波調査を求めている。真偽を確かめ、防災計画の見直しにつなげる。

日本海側では活断層規模が太平洋側より小さく、大津波は起こりにくいとされてきた。しかし、5月に吉田神社(京都市左京区)の神主が残した「兼見卿記(かねみきょうき)」で、若狭湾に大津波が押し寄せたとの記述が残っていたことが明らかになり、関西電力が調査を開始した。これを受け、府も市町村や府立大などに文献や伝承がないか調査を依頼していた。 …


昔の人が、自分たちが被った災害の記録を、なんとかして後世に伝えようとしていたんですよね。ホント感謝しないといけません。
同様に、私たちも今年起こった災害のことは、なんとか後世に伝えないといけないと思います。子・孫・ひ孫ぐらいの世代には直接伝えることもできるでしょうが、その先の子子孫孫の世代にも私たちの記憶は残していかないといけません。それをどうやってやるかが、実は私たちにとっては課題だと思っています。
紙の巻物や石碑から100%ではありませんが数百年間残ってきた実績があります。でも、画像や動画とか、ITの力を使って残すのというのは、私にはちょっと信頼が出来ません。ファイル形式とか、数百年もサポートが続くとは思えないしw

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.08.14

きっちり調べていただきましょう

先日当ブログでも取り上げていたネタに進展がありそうです。

当事者に内輪で調べてもらってもまた有耶無耶にされそうなので、ここはひとつ、外部からもいろんな分野の専門家の方に入っていただいて、きっちり調べていただきましょう。

(読売新聞サイトから↓)

若狭湾岸の原発周辺 津波跡調査へ 関電
関西電力が自社の原子力発電所全11基を立地する福井県・若狭湾沿岸で、過去の津波の痕跡について本格的な調査を行う方針を固めた。関電は東日本大震災直後は、「過去に津波が起きた可能性は低い」と調査に否定的だったが、最大級の津波についても対策を検討するよう求めた6月の国の中央防災会議の提言などを受け、方針を転換した。結果次第では、原発周辺の津波想定の大幅な見直しを迫られる可能性もある。

若狭湾の中央部にある三方五湖(美浜、若狭両町)で湖底の堆積物を採取するボーリング調査などを実施する。堆積物に含まれるがれきの分析などで、過去の津波の発生がわかるという。調査の開始時期や期間は決まっていない。…

京都の寺とかに、当時の手紙などもっと状況を追いかけられる史料が残っていないものですかね。
若狭地方のちょっと山間の小さなお寺とか、旧家の天井裏とか蔵も調べてみる必要があるのかも・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.01.05

連綿と

世代を超えて、大切に書き継がれてきた村の日記。ご先祖様が知ったら、さぞお喜びになることでしょう。

(京都新聞サイトから↓)

村日記265年、暮らし連綿 高島・マキノ町知内区
高島市マキノ町知内(ちない)区に、江戸時代中期の延享2(1745)年から、歴代の庄屋や区長が、地域の出来事や行事を記す村日記がある。連綿と書き続けて265年。…

265年間ずっと紙に書かれてきた日記が、ずっと大切に保管されてきていることにも敬意を払いたいです。
これからもずっと大切にしていただきたいと思いますが、このご時世ですから、別の紙に転記するとか写真を撮るとかバックアップの取得はされたほうが良いでしょう。

テキストファイルならここまで見事に保管はできないでしょう。
そもそも同じフォーマットが50年も100年もずっとサポートされるとは考えられませんし、途中でフォーマットが変わった時にはどこかの文字が化けたりしそうですw メディアの劣化も、案外進みそう。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.04

昔も今も

抜き打ちテストとかあったんでしょうか?

(読売新聞HPから↓)

中国直伝「九九」木簡 奈文研が発表…平城宮跡で出土
奈良市の平城宮跡で出土した「九九」を記した8世紀の木簡に中国の数学書と同様、イコールを意味する「如」の文字が書かれていたことがわかり、奈良文化財研究所が3日、発表した。この文字が使われた九九の木簡の発見は初めて。同研究所は「九九が中国から伝来したことを端的に示している。税の計算など掛け算ができないと仕事にならない役人が練習したのだろう」としている。

木簡は長さ16・3センチ、幅1・5センチ。「一九如九(いんくはくのごとし、1×9=9)」などと記されていた。…


ちょっと前に、九九の練習をしていた三女と、私との会話。

私「七一が」
三女「七」
私「七二」
三女「十四」
私「七三」
三女「二十一」
私「七五」
三女「二十八」
私「こら~!」
三女「ちゃんと順番に言ってよ! 引っかけ禁止!」

こういうやりとりを、昔の人たちもやっていたのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.09.30

【滋賀】三井寺と大津市歴史博物館 #shiga #otsu

京都新聞のサイトにこんな記事がありました。

三井寺の国宝秘仏が旅立ち 大津歴博に搬出

大津市歴史博物館(同市御陵町)の開館20周年記念企画展「大津国宝への旅」への出展に向け、園城寺(三井寺)の国宝・智証大師坐像の搬出作業が29日、行われた。

智証大師(814〜891)は園城寺を再興した初代長吏。大師の坐像は中尊(ちゅうそん)大師と御骨(おこつ)大師の国宝2体が大師堂に納められており、この日は、10月9日から24日まで展示される中尊大師像を運んだ。

開扉法要の読経に合わせて、福家英明長吏が、二重の扉の錠を開け、厨子(ずし)の扉をゆっくりと開くと、中から、卵形の顔、どっしりした体格の等身大の像が姿を現し、さらに厳かな空気が漂った。…


貴重な文化財を移動させるのは大変な手間のかかる作業ですが、三井寺大津市歴史博物館敷地がほぼ隣接しています。いくら自分のところが絡んでいるイベントとはいえ、ここまで仰々しく記事にせんでもエエやろ、と思ってしまいました(苦笑)

◆三井寺のサイトにあるこの企画展の情報はこちら (チラシpdf)


昨年は京都の青蓮院門跡で国宝・青不動尊が公開され、えらく注目されてましたが( 私も観に行きましたが )、今回の企画展の目玉のひとつがその青不動、高野山の赤不動とともに日本三不動のひとつとされる「国宝・金色不動明王画像(黄不動尊)」だったりします。

うーむ、うちの近所でこんなすごい催し物があるのか、サクっと観に行っておこうかな。

[2010/10/08追記]
いよいよ明日から開催です。うちから思いっきり徒歩圏内だし、内容が内容なので是非行ってみたいと思います。
ちなみに10/1発行の「広報おおつ」を持参すると1家族単位で料金の割引(市民優待)が受けられます。
(京都新聞HPから↓)

大津の社寺・国宝ずらり 市歴博で9日から企画展
大津市内の社寺が誇る国宝や重要文化財をかつてない規模で展示する企画展「大津国宝への旅」が9日、大津市御陵町の市歴史博物館で始まるのを前に、内覧会が8日開かれ、関係者が豊かな郷土の名宝に見入った。

日本三不動の一つ、園城寺(三井寺)の秘仏・黄(き)不動尊(国宝)は同日、法要後に封が厳粛に解かれた。…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.09.02

☆☆ 「はやぶさ」が大阪にも!☆☆

Hayabusa_osaka 西日本にも来ないのかな~と思っていたのですが、大阪で展示されることになっているのですね。
阿倍野というのが滋賀県民的にはちょっと微妙ですがw、まあ庶民なので「はるか」の世話にはならず環状線に乗って天王寺に行ってみますか。

◆ JAXAのサイトの記事はこちら

◆ 近鉄百貨店阿倍野店のサイトの記事はこちら

日程/2010年9月17日(金)~21日(火)
時間/午前10時~午後8時 ※最終日は午後5時で閉館
会場/近鉄百貨店阿倍野店 9階 近鉄アート館
(近鉄大阪阿部野橋駅、JR・地下鉄 天王寺駅下車すぐ)
入場料/無料(観覧整理券が必要)

♯しかし期間中はすごい人なんだろうなぁ・・・


| | コメント (1) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧